約 3,395,881 件
https://w.atwiki.jp/sponsoracjapan/pages/10698.html
フジテレビ系列 フジ系ネットセールス フジ系ネットセールス 2019年12月17日(火) 19時00分~21時29分 東アジアE-1サッカー選手権2019 女子 日本×韓国 予定では ~21時24分 前半 0’30”…KIRIN(キリンビール)、P&G、SMBC 三井住友カード、mixi GROUP、中外製薬、宝くじ(PT) 後半 1’30”…世田谷自然食品(1’00”扱い) 0’30”…KIRIN(キリンビール)、信用金庫、日本生命 21時35分~23時23分 訳あり人の駆け込み寺【大家族の夜逃げに密着 チンパンジーと呼ばれた女性が整形】(KTV関西テレビ) 21時台CC 0’30”…ロート製薬 21時台 1’00”…COSMO(コスモ石油・PT) 0’30”…Japanet※、DAIHATSU※、kewpie※、SUNTORY、J coin※、飲める米糠、宝くじ(PT)、KIRIN(キリンビバレッジ・PT) 21時台HH 0’30”…小林製薬 22時台前半 0’30”…創味食品※、Takeda、ライフネット生命※、小林製薬※、Audi、SUNSTAR(PT) 22時台後半 0’30”…meiji 明治、SOFT99、MS AD 三井ダイレクト損保、YKK AP、TOYOTA※、Kao(PT) 23時35分~24時05分 セブンルール (KTV関西テレビ) 1’30”…Kao(絨毯の上にカラー表記) 0’30”…アデランス、永谷園(PT)
https://w.atwiki.jp/nihonsaigo/pages/49.html
第三話 『新しい風』 第三話 『新しい風』ステージ概要 モンスター 入手アイテム ボス ステージ概要 動画到達レベル 4 メインキャラクター:かなみ、むつみ、クロト、シロマ 熟練度:前半のディンフォース戦で、5ターン以内にHPを50%以下にする クリアボーナス:700円 ラ・ギアスの世界に飛ばされた、かなみ達。 おそらく、数年後と思われる年を取ったマサキに会う。 クロト、シロマが仲間になる。 クロトは努力、シロマが幸運持ち、効率よく使って育成の補助にしよう。 モンスター 登場モンスター 備考 ゴリアテ やや防御が高いが、雑魚。 グラフ・ドローン とにかく雑魚。 異界の最先端 回避が半端ない強敵、忘れられた過去の文明をなめてはいけない。 入手アイテム 入手アイテム 入手方法 特盛コロネ 神殿の宝箱 日本最後の日2巻 マサキの家 ボス 名前 備考 ディアブロ 土属性の魔装機、炎に弱い。リニアレールガンも驚異的だが、弱ってくるとくるみ割り人形を使う。 ディンフォース 炎属性の魔装機、水に弱い。前半戦では、むつみ単機でHPを半分以下にすることで熟練度。 ザイン 水属性の魔装機、雷に弱い。回復を使ってくるので、最初に落とすことで楽になる。
https://w.atwiki.jp/winterfate/pages/84.html
たぶん本当の未来なんて カラッポの世界 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「未来が見えるって言うのなら、俺の未来何て言わなくて良い」 ある時その男は、彼女に対してそう言い放った。 酷く草臥れている顔の男だった。薄汚れた上着とズボンは土と汗で汚れ、何日も風呂に入れていないのだろう。身体からは嫌な臭いがした。 生きる為の労働と歩んで来た碌でもない人生の疲労から来る垢が、体中にこびり付いたような男である。 見た目は二十代後半の働き盛りであると言うのに、感じられる雰囲気には溌剌としたものを全く感じさせない。 人から裏切られ、叩きのめされ、蹴落とされ。単刀直入に言って、男から感じられる空気は、負け犬のそれだった。そう、彼女と同じ気配を、男は発していた。 「どうして、ですか?」 「言われなくても解るからだ。俺の未来に救いがないって事ぐらいはな」 酷い卑下の言葉だ。誰が耳にしても、卑屈以外の言葉は浮かびようがない。 しかしそんな言葉を口にしているのに、男の瞳には強い意思が輝いていた。そんな言葉を口にしているのに、男の目線は、常に前に向かって放たれていた。 自分と言う人間と、歩んで来た過去。それら全てを合算して、それでもなお、男は自分の人生には救いが最早ないと言っているらしかった。 「……如何して、救いがないと仰れるのですか? 救いが、まだあるかも知れないと言うのに」 「アンタは、未来は解っても『過去の事は解らない』らしいな。なら、俺の未来に救いがあるって言うのは、気休めの嘘だと解る。俺の過去は、俺にしか解らないからな」 男は淡々と言葉を紡ぎ、それを受けて、彼の引き当てたアーチャーであるところの彼女は、黙りこくった。 男の言っている事は正しかった。アーチャーは、未来を予知・予言出来る力を持ったサーヴァントである。しかし、彼女には、現在より過去を遡って視る力はない。 だから、男の過去に何があって、そしてそれがどのようにして彼の未来に立ち塞がっているのか、彼女には知る由もない。 そして、男の未来に救いがない、と言うのもまた事実だった。 アーチャーは未来の事が読めると言っても、聖杯戦争の制約か、はたまた、自身の神秘としての格が他より劣るのか。 この冬木で起る未来については、精々が二時間程度先ぐらいしか先読み出来ない。冬木については、二時間先の未来しか見えない。 しかし、『目の前の男が元の世界に戻った場合に辿る事になる未来』については、彼女は問題なく予知出来る。 つまり、元々生きていた世界で、当該人物がどう言う生き方をする事になるのかについては、完全に彼女は知る事が可能なのだ。 酷い、の一言に尽きる。どんな未来を歩んでも、どんな選択を選び取ろうとも、男が救われる選択は何一つとしてない。 疲労と年波と不摂生に心と身体の蝕まれる、最低水準の生活、そしてその最低水準以下の生活を送る為に、日々働き続ける。 働かないと、その最低水準以下の『生活』すら送れないからだ。男にとって働けなくなる、働かないと言う事は、冗談抜きで死に至る事柄だった。 男は出口のない負の螺旋に囚われていた。彼は蜘蛛の巣に囚われた蝶と同じで、後は生きる為の養分を吸われて、死を待つだけの存在。 男は、人の形をした搾取される為だけに動き続ける羽虫と、何の違いもありはしなかった。 だが、酷いと言うのは、そんな生活がずっと続くからではない。 人の人生と言うのは何が起こるか解らない。それまで社会の頂点に立ち、力の限りを尽くしていた権力者が、何かを契機に地の底にまで転落する事もあれば、 その逆、虐げられる側にいた者が転がり込んで来た幸運や機会を活かし、一気にのし上がると言う事は、何時の時代にだって有り得る事なのだ。 目の前の男は違う。今アーチャーが見ている姿と、何ら変わらない年齢の内に、この男は死ぬ。間違いなく、今から数年、或いは数ヶ月の内に死んでしまうのだ。 人生に逆転の機会が訪れぬまま、若い内に死ぬ。だからこそ、目の前の男は悲惨なのだった。男は薄々、己のそんな境遇を理解しているらしかった。 「……解りません」 アーチャーのサーヴァントが呟いた。 「何がだ」 「貴方の未来は、不幸な事故で死んだりだとか、誰かに殺されたりだとか、ではありません。貴方はその未来で尽く、自分から死を選び、自らその命を……」 一瞬驚いた様な表情を男は見せ、その後、変な苦笑いを浮かべて、口にした。 「正直、疑ってた。未来が読める何て、ありえないと。だが、本当に未来が読めるらしいんだな」 「その言い方ですと……」 目の前の男は……アーチャーのサーヴァントである彼女のマスターたる彼は、己の結末も、予想の範疇であったらしい。 つまりこの男は、自らの手で命を断つ、それが、己の人生の終着点であるとしっかりと認識し、かつ、その為に生きていると言っているようなものだった。 「誰に感謝されるでもない、まともな人間扱いもされない。心も身体もボロボロになるまで働かされる……そんな俺でも、出来る事がある」 「それで死ぬのは、間違ってます……!!」 「俺が死ぬのが解ってるなら、俺がどう言う人間かも解っている筈だ。碌な人間じゃないぞ、お前のマスターは」 それも、解っていた。解っていて、知らないフリをしていた。 男は単刀直入に言って、サーヴァントであるアーチャーの目から見ても、倫理観の無い人物だ。 己の目的の為に人に暴行し、仲間にも制裁と言う名目でキツく当たる未来も確認出来た。見た目からは想像も出来ないが、手前勝手な人物であるらしい。 「俺が社会のゴミだから、自殺する訳じゃない。お前に言われるでもなく、俺がそう言う人物だと言う事は、良く解ってる」 「そんな、事は……」 「過去の解らないお前の為に教えてやる、俺は人を殺してる」 今度はアーチャーの方が目を見開かせた。嘘、と小さく口にする。 自分のマスターが……、と思ったが、言われてから改めてその姿を確認すると、成程、そんな気配は確かにする。 草臥れた気風を発する、冴えない身体。しかし、瞳に確かな意思の強さが宿っているのは、其処に起因するのだろう。 「恐らくだが、例え死を選ばなくても、どの道俺に待ち受けていた境遇は、悲惨なものだっただろう。俺が裁かれるべき存在なのは、よく解ってるよ」 「そう言う存在だから、自分で死を選ぶ、と……?」 「違う」 そう答えた男の――『奥田宏明』の顔は、鉄のように険しい表情になっていた。 サーヴァントになっても、本質的には生前通りのか弱い乙女に過ぎないアーチャーは、その表情に怯えてしまう。 「……いや、変な顔をして悪いな。俺が死を選ぶのは、そう言う理由もあるんだろう。だが、それは絶対に本質じゃない。俺の死は、計画の一つに過ぎないんだ」 「それでは、貴方は何の為に自分で死ぬのですか……?」 「それが、俺以外の人間の為になるんだと、信じてるからだ」 そう答えた奥田の顔は、労働を終えて疲れ切った表情とは全く趣を異にする、真面目なそれであった。 「……アーチャー。未来を予知出来るって言うのなら、アンタに聞きたい。……骨は、届いたのか?」 「骨、ですか……?」 「あぁ、悪い。質問を変えよう。アーチャーは俺以外の人間の未来は視れるのか?」 「……申し訳ございません。あくまでも、目の前にいる方の未来しか視えないのです……」 「そうか……解った。なら、俺も覚悟を決めたよ。俺は尚の事、聖杯を手に入れなきゃならないらしいな」 深呼吸を一度だけ行ってから、奥田は口を開いた。 「その骨って言うのはな、此処にやって来る前に、とある所で出来た俺の友人の物なんだ」 「遺骨」 「そうだ。俺はな、そいつの家族の所に遺骨を届けてやる為に、色々頑張ってる。その為に、アンタが見たような、色々な悪事にも手を染めてる訳だ」 奥田が顔をアーチャーの方に向けて来た。やはり、真率そうな表情だ。 「其処までするのか? って顔だな」 「……」 「解ってるよ、自分でも意味のない事だって位は。恐らくそいつと一緒だった時間は、一ヶ月かそこらだ。親友って言う程の絆を築けた訳でもなければ、そいつに恩がある訳でもないし、そいつが取り立てて凄い奴だった事もない。明るさだけが取り柄の、何処にでもいる普通の奴。そいつが、俺が遺骨を届けてやりたいって言う奴だよ」 次の言葉を模索しているのだろう。奥田は、黙りこくった。 「……悔しかったんだと思う」 「何が……でしょう」 「そいつが死んだ事もそうだが、俺の無力さに、だ」 言葉を、奥田は続ける。 「明るさと優しさが取り柄なだけじゃ、何処の世界でだって生きてけない。そいつはお人好しな上に、底抜けの馬鹿でな。昔自分を捨てた父親に会う為に、内臓を売ってまでこの国の地を踏んだらしい。結局、それが元で死んだよ。金もないしツテもない俺達は、そいつが死ぬ事を防げなかったし、延命だって出来なかった」 奥田の言葉を黙って聞くアーチャー。 「それが無性に許せなくてな。馬鹿で、明るくて、優しくて。報われても良い筈なのに、結局神も悪魔もそいつに報いてやらなかった。だったら、アイツの事を昔知ってた人間が、せめて何かをしてやらないとな、って思ったんだ」 「……」 「お前の視た俺の未来は、志半ばで死んだ友人の遺骨を届ける為の一環だと思って良い。多くの人物に迷惑が掛かる事は俺だって知ってる。こうするしか方法がなかったからだ。つまるところ俺は、自尊心を弱者から奪い続ける強者に虐げられる人物に過ぎない俺には、これしかやり方が解らなかった」 「だけどな」 「その身勝手で、一人の人間の意思が成就するんだ。そいつはもうこの世にいないし、俺達にこうして欲しいと遺言を残した訳でもない。たが俺は、『間違いなく俺のやってる事が死んだ友人のタメになる』って言う確信がある。だから俺は、罪を冒してでもそんな事をやるんだ。俺はもう、元の世界に戻ったとて刑務所にぶち込まれるだけの男だが、そんな男でもせめて、死んだ友人の為に……明るさと優しさだけが取り柄だったアイツの為に、何かしてやりたい。それだけだよ。アーチャー」 奥田の話を聞いて、何故、自分が彼に呼び出されたのか、このアーチャーは理解した。 ああ、彼は自分と同じだったのだ、と。男は過去に失った大切なものの為に、全ての未来を擲ったのだ。 過去に出来た大切な仲間の意思を果たさせる為に、彼は、己の命をも捨てるつもりだった。今となってはその友人が、奥田の成す行動に何を思うのか、それは解らない。 解らないが、それがきっと彼の為になるのだと言う万斛の自信を持っているからこそ、奥田はこうして、聖杯戦争についても意欲的なのだ。 奥田宏明は、未来ではなく、過去の友人を守る為に、利得を捨てた行動に出、これから彼を待ち受けていたかも知れない全ての幸福を投げ捨てたのだ。 その生き方は、正に今の自分だった。 アーチャーは生前のたった一度の迂闊な行いで、自分だけではなく、己の何代にも渡る先祖と、自分達の仲間に、消える事のない汚名を被せてしまった。 曰く、不意に人の前に現れては、不吉な予言を残して去って行き、その予言を受けた人物に必ず不幸を舞いこませる、と言う不穏な瑞獣。 それが、彼女らに対して被せられた拭える事のない汚名。本当は、違う。未来を予知出来る異能を、人の為に使っていた、その異能以外はただの人間。 たったそれだけなのに、アーチャーが行った行為で、それら善意が全て覆された。アーチャーは、己のせいで一族が無辜の怪物になった事を、心の底から悔いていた。 だから、聖杯に彼女は願うのだ。自分の事などどうでも良い、己以外の一族が、幸せになれば良い。――『件』は、私だけで良いのだ、と。 白い小袖と白い袴を身に着けた、髪を涼しげに短く切った、見目麗しい女性だった。 纏う雰囲気は酷く儚げで、少し小突いただけで簡単に骨が折れてしまうのではないかと言う程、目に見えて華奢だと言う事が解る。 その装いは、名のある大神社に仕える巫女然としているが、性根の邪な者は、百二十cm程もあるその胸部に目が行く事だろう。 ゆったりとした巫女服であるが、胸の部分だけが大きく膨らんでいるのがどんなに目が悪い者でも一目で解る程だった。 女性としての魅力を詰め込み、しかし、一週間の後に枯れる事を宿命づけられた彼岸花にも似た儚さと、 頼る者縋る物を全て失ってしまったような悲観的な空気を漂わせるこの女性を――人は、『件(くだん)』と言った。 「マスター。私は……もう解っているとは思いますが……弱いです。とても、とても」 「……だろうな」 「そして私は、口にした凶事が絶対に実現してしまうのに、その反対……人にとって嬉しい事は、口にしても絶対に実現いたしません」 「そうか……」 「ですが――」 其処で奥田の手を握り、件が口にする。 「そんな私ですが、言わせて下さい」 「何を、だ?」 「……如何か、貴方にも……幸せが、訪れますように、と」 木枯しが一陣、吹き荒んだ。 金がない為冬着を買えず、季節的には春物の服しか持っていない奥田には酷く堪える風だったが、件の握ってくれている手だけが、確かに暖かかった。 聖杯戦争が始まる前の、冬木大橋付近の誰もいない公園での一幕とは、誰も知らない。 【元ネタ】日本伝承、都市伝説 【CLASS】アーチャー 【真名】件 【性別】女性 【属性】中立・中庸 【身長・体重】159cm、51kg 【ステータス】筋力:E 耐久:E 敏捷:E 魔力:A+ 幸運:E- 宝具:EX 【クラス別スキル】 対魔力:E 魔術に対する守り。無効化は出来ず、ダメージ数値を多少削減する。 単独行動:C マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。ランクCならば、マスターを失ってから一日間現界可能。 【固有スキル】 予知:A+ 完全なる予知能力。生前有していた異能と、伝承により広まった件と言う妖怪の有する能力が混ざり合った結果、極め高いランクを保持するに至った。 このランクになると、人が死ぬまでの未来を完璧に予知出来るレベルであるのだが、聖杯戦争においては、当該人物から二時間程度先の未来しか予知出来ない。 但し、その人物が『本来いた世界で辿る事になっていたであろう未来』については別枠で予知出来、その場合は完璧にどうなるかを知る事が出来る。 無辜の怪物:B 人の不幸を予言する妖怪・件。生前の行いから生まれたイメージによって、過去や在り方をねじ曲げられた女性の姿。 能力・姿が変貌してしまう。この装備スキルは外せない。このスキルにより、アーチャーの口にした凶事は、必ず実現する事になる。喜ばしい事は絶対に成就しない。 【宝具】 『人生、是件の夢の如し』 ランク:EX 種別:対運命宝具 レンジ:1~∞ 最大補足:1 アーチャーの持つ件と呼ばれる妖怪の持つ性質及び能力が宝具となったもの。 伝承に曰く、アーチャーは当該人物の凶事や不幸を予言し、アーチャーの予言した事は必ず実現する事になると言う。 この宝具の本質は『言霊』と呼ばれる、言葉が有する神秘であり、その中でもこの宝具は言霊が有する神秘の最高位に相当する。 つまりアーチャーは、言霊を言い『放つ』からアーチャークラスなのである。この宝具を発動させた状態で、アーチャーが口にした凶事は、必ず現実のものとなる。 正確には、予言した人物が辿る運命に、アーチャーが口にした事で生み出された運命を差し込み、割り込ませる事で、それを強制的に実現させる、と言うのがこの宝具。 当該人物が転ぶと言えばその人物は転び、骨が折れると言えば骨が折れ、命がなくなると言えば文字通りになる。 強力な反面制約も多く、言い放った凶事は、『何時何処で成就するかを指定できない』。次に、アーチャーが消滅すれば、 『消滅以前にそれまで口にしていた凶事は全て白紙に戻り、なかった事になる事』。但し、既に成就してしまった凶事は白紙にならずにそのままである。 またアーチャーは無辜の怪物スキルにより、凶事しか招かせる事は出来ず、吉事やめでたい事は絶対に手繰り寄せられず、予言する内容も『人の運命』のみに留まり、突然大地震が起こったり火山が噴火したり、等と言う地球に対する運命改竄は不可能である。 【Weapon】 【解説】 件(くだん)とは日本に伝わっている妖怪の一種で、江戸時代前半から昭和前半まで、日本全国の様々な場所で目撃情報が確認されていた。 それは、牛の身体に人の頭、或いは人の身体に牛の頭を持っていると言う妖怪で、これ自体は問題ではなく、最大の特徴は優れた予言の能力である。 彼らはその出現時に大抵の場合は不吉な予言を残して去って行くとされ、そしてその予言は必ず的中すると言う。言ってしまえば、ある種の瑞獣である。 一説によれば彼らは太平洋戦争における日本の敗北や、もっと遡って関東大震災や宝永大噴火、明暦の大火すら予言していたと言う。 因みに『件』と言う字は『人』と『牛』に分解が可能な為、件の如しの『件』の意味が解らない者が憶測で「くだんと言う生き物がいる」と誤解し、 これがもとで誕生した、都市伝説に近い妖怪なのではないかと言う説がある。また或いは、牛の身体を持つと言う特徴から、そう言った皮膚病の持ち主がモデルであった、と言う説もある。 その正体は妖怪でも何でもなく、歴史の怒涛の波によって完全に姿を消し、存在したと言う痕跡すら最早存在していない、日本古来から伝わる巫女の一族。 つまり彼女達は、嘗て日本に存在していたとされる、特定の神社に属さずに、旅をしながら祈祷・託宣・勧進で生計を立てていた、歩き巫女であった。 彼女達は魔術こそ扱えないが、遺伝性の極めて強い、未来を予知してしまう異能を有していたとされ、この力を以て悩める者達を救っていた。 そんな状態が続いていたが、歩き巫女と言う、当時の時点ですら安定性も何もない者達であった為、時代が下るにつれて彼女達はその数を減らして行く。 最終的には昭和前半になる頃には、残ったのは一人だけ、しかも歴代の一族の中でも特に予言の力が強い十代後半の少女だけだった。 このまま俗世界で生活しようかと彼女は考えたが、ある時に、日本が悲惨な未来を辿り、その中で多くの国民が死ぬと言う未来を見てしまう。 この事を人々に知らせようと動き始め、その事を国民に教えるも、当然そんな事は誰も信じないし誰にも嘲笑される。 それでもそんな事を続けていた為に、最終的には特高(特別高等警察)に連行され、拷問の末に死に至る。享年17歳。余りにも若い死である。 彼女の見た未来とは、太平洋戦争の敗北と、米軍の沖縄上陸による人の悲惨な死、そして長崎と広島に投下された原子爆弾の未来だった。 その予知した未来が嘘であったか否かは、最早語るまでもない。これが、今日まで伝わっている件と言う都市伝説の、全貌であった。 サーヴァントとして召喚されたのは一族の最後、即ち太平洋戦争の敗北を言い当てた結果特殊警察の拷問で殺されたとされる人物。 聖杯戦争に召喚された件は、無辜の怪物スキルの保有者でありながら、かなり人間に近い姿をしている。 実は、件と言う妖怪の特徴である牛の身体や頭と言うのは歴史が下り、情報が伝言ゲームされて行くにつれてあやふやになった結果デタラメになってしまったもので、 真実は『牛のように大きい胸を持った女性』と言うルーツが、人と人とに伝わって行く間にこんな事になったのだと言う。 なお胸の大きいのも遺伝らしく、一族皆そうだったらしい。見ての通り、外から見れば何処にでもいる普通の人間である。 しかし妖怪特有の魔性の属性はしっかりと受け継いでいる為、ただでさえ打たれ弱いのに魔性特攻の攻撃を喰らった即死する。 生前の事もあってかなり悲観的な性格をしているが、自分の力を上手く使えば太平洋戦争の結末は防げたかもしれないと常々思っている。 要するに、かなり抱え込みやすい責任感の強い人物。しかし、未来が読めると言う一族の出である彼女は、既に起った過去は何があっても変えられない、 と言う当たり前の事を強く実感している人物であり、聖杯にかける願いも、太平洋戦争を回避するでは予測出来ないアクシデントが勃発するのではと考えている。 その為、聖杯に掛ける願いは、『自分の一族は件と言う妖怪ではなく、人の為に自分の力を使っていた人間だった』と皆に認知して貰いたいと言う物。 自身の風評被害の象徴でもある己の宝具を奮う事は酷く嫌っているが、それでも先祖の為に件は力を発揮する。 【特徴】 所謂巫女服。小袖は白だが、袴は赤色ではなく白身。髪を涼しげに短く切った、見目麗しい、いわば可愛らしい顔つき。 目に見えて華奢だと解る程弱弱しい身体つきで、見る物に与える印象は儚げで、触れれば崩れてしまいそうなか弱い花。 但し、件伝承の元になってしまった程の胸の大きさは凄まじく、百二十cm程もあるバストは恐ろしく目立ち、服の上からでもその大きさがハッキリわかんだねのレベル。 生前は如何とも思わなかったらしいが、件伝承の原因ともなり、かつ男が自分の胸を見てどう思うかも知ってしまった為、酷くそれがコンプレックスになっている。 【聖杯にかける願い】 自分の一族におっ被せられた、件伝承と言う風評被害を撤回させる。件と言う妖怪として生きるのは、自分だけで良い。 【マスター】 奥田宏明@予告犯 【マスターとしての願い】 嘗て自分と働いていたフィリピン人労働者である、ヒョロの遺骨を彼の父親の下に届ける。 【weapon】 OTPトークン: ヒョロが働いていたネットカフェの店長が、夜逃げの際に店に残して行ったもの。ワンタイムパスワードの設定の為に必要。武器ではない。 本来いた世界で辿る事になる未来では、この道具を用いて奥田はその計画を成功させるのであるが、今回の聖杯戦争では全く役に立たない代物になるだろう。 しかしそれでも、奥田にとっては大事な、思い出の品。 【能力・技能】 IT知識: 元々奥田はそう言った会社に派遣社員として勤めていた為、この手の知識には非常に明るい。金を取れるレベルのプログラムの構築だってお手の物。 その手腕は非常に優秀であり、正当な歴史においては、警察のサイバー犯罪課のベテラン刑事をして、悔しい位頭の良い人物と言う評価を下さざるを得なかった程。 この知識に付随して、数学的な知識にも長けている。また、警察がどのようにして犯人を追跡、逮捕するか、と言う方法を知っており、警察面の知識にも長けている。 【人物背景】 元々はIT会社の派遣社員であった青年。不当解雇に遭い、日雇いの肉体労働を始めるようになるが、その時にヒョロと呼ばれるフィリピン人労働者と知り合う。 が、日本に来るために腎臓を売ったヒョロは、山間開発のバイトと思しきタコ部屋で腎不全に陥り、死亡。 その事を監督に知らせ、やって来た監督の『腐るから埋めろ』と言う発言に逆上した、同僚の寺原に手を貸す形で、監督を殺害。 以降は、ヒョロの骨を彼の父親の下へと届ける為に、策を練る事になる。本文中では記載していなかったが、彼のあだ名は『ゲイツ』である。 犯罪予告をネット配信する犯罪グループ、『シンブンシ』として活動する前の時間軸から参戦。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/56556.html
登録日:2024/06/30(日) 21 15 00 更新日:2024/09/18 Wed 19 36 21NEW! 所要時間:約 18 分で読めます ▽タグ一覧 ジャニーズ事務所 会津藩 少年兵 幕末 年末時代劇 戊辰戦争 敗れ去りし者たち 日本史 白虎隊 白虎隊(びゃっこたい)とは、江戸時代末期から明治初頭にかけて、会津松平家によって組織された軍事組織。 日本で最も有名な少年兵集団と言っても過言ではないだろう。 「飯盛山での自刃」が有名だが、これは士中二番隊…つまり白虎隊のうち一部隊の隊員達によるもの。 当項目では「白虎隊」そのものについて解説していく。 【目次】 前夜 創設 課題 服装 出陣 終戦 その後 ドラマ化 前夜 慶應4年(1868)1月3日から始まった鳥羽伏見の戦いで薩摩島津家、長州毛利家の洋式軍隊に完膚なきまでに敗れた会津松平家。 大坂城にいた徳川宗家当主•徳川(とくかわ)慶喜(よしのぶ)(*1)が会津松平家当主•松平(まつだいら)容保(かたもり)(*2)、桑名松平家当主•松平(まつだいら)定敬(さだあき)(*3)、首席老中で備中松山板倉家当主•板倉(いたくら)勝静(かつきよ)ら僅かの供を連れて軍艦•開陽(*4)に乗り込み、大坂天保山沖から江戸に夜逃げした。 ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世「おお!同士よ!」 アーサー・リンチ「お前も同じだな。」 当主が夜逃げ、戦場にいる部下を見捨てるという前代未聞の事態をやらかした松平容保は家臣団に頭が上がらなくなってしまい、更に慶應4年(1868)1月20日、徳川慶喜は負傷者が収容されている会津松平家中屋敷に来訪して夜逃げの顛末を話し、夜逃げを謝罪したのだが、高津(たかつ)仲三郎(ちゅうざぶろう)(*5)という負傷した武士が 「どの面下げてここに来た?」 「夜逃げの言い訳なんか要らないんだよ!」 「降参するなら、なんで大坂城で降参しなかった?」 「なんで大坂城の大広間でオレ達の戦意を煽る発言をした?」 「そもそも何の為の謝罪だ?」 「負けた事?夜逃げした事?」 「要するに謝罪している姿勢を見せているだけでしょう? 心が籠もっていないの、ミエミエだから! 要らないよ、そんな謝罪!カエレ!カエレ!」 と言いたい放題。 また、徳川慶喜も全てやらかした後なので、ぐうの音も出ない、しかも、高津は戦場で命を賭けて戦い死にかけた後で、憤懣やる方ないといった様子。 一応、会津松平家には徳川宗家当主に忠節を尽くせ!という家訓はある(*6)のだが、すでにリミッターは解除されている模様である。 高津が徳川慶喜を公開処刑した後、会津武士たちから 「カエレ!」 の大合唱、慶喜は逃げ出した。 家訓に基づき忠節を尽くすなら慶喜の夜逃げを赦して、認めなければならないが、会津松平家は宗家当主・慶喜に罵声を浴びせて退散させ、徳川宗家への忠節を切り捨てた。 会津松平家が家財の全てを傾けて孝明天皇の為(*7)に戦って来た事が正しかった事を示す為に戦って勝つしかなかった。 家臣団に対して、慶喜に夜逃げを説いたとして神保(じんぼ)修理(しゅり)(*8)に詰め腹を切らせ、容保が夜逃げの一件で不倫がバレた有責配偶者の様に土下座謝罪をする事で家臣団も 「次はないからな!覚悟しとけよ!」 と憤懣を収めてくれた。 ※ちなみに神保が慶喜に説いたのは、『戦闘を停止し、大坂城まで全軍撤退させ、恭順の方針を全軍に伝えてから、大坂城を退いて江戸に戻る』という策だったのだが、現実に慶喜がしたのは煽りと夜逃げなので、神保もあ然としていた。 創設 負けた要因は、武器の差、武器に合わせた戦い方とその熟練度の差など様々あるが、ひとまず、年齢別に再編成して、農民、町人を集めて洋式軍隊にする事にした。 以前は長沼流軍学(*9)で編成されていたが、禁門の変で長州毛利家に苦戦させられたので、やり方を改めたいと京都詰の家臣から提案は有った。 国許や江戸からは今もそのやり方で勝っているから、やり方は変えません!と断られ、京都の連中が金食い虫だから軍備は変えられないよ!ともイヤミを言われた。 家訓を逆手に取り将軍の圧力を使い、慶應3年(1867)の3月から会津に徳川陸軍から歩兵指図役頭取•畠山(はたけやま)五郎七郎(ごろうしちろう)、砲兵指図役•布施(ふせ)七郎(しちろう)、騎兵指図役•梅津(うめづ)金弥(きんや)の3人を招いてフランス式の軍隊にする予定が、慶喜の都合で延期になり今年にずれ込んだ(*10)。 山本(やまもと)覚馬(かくま)(*11)の斡旋で9月には赤松(あかまつ)小三郎(こさぶろう)(*12)を京都に招いてイギリス式の訓練を施して洋式軍隊にする予定が薩摩島津家のテロ(*13)で赤松が暗殺され有耶無耶にされたりで、第一歩すら踏めなかったのが会津である。 前置きが長くなったが、年齢別に再編成した結果、 15〜17歳→白虎隊:士中1番37名、士中2番37名。寄合1番98名、寄合2番65名、足軽71名は組織されたが各地に生じた負傷兵を補う補充兵として充てがわれ、流れ解散 18〜34歳→朱雀隊:士中4隊、寄合4隊、足軽4隊の合計12隊。1隊は各100名編成で総勢1200名 35〜49歳→青龍隊:士中3隊、寄合2隊、足軽4隊の合計9隊。1隊は各100名編成で総勢900名 50歳以上→玄武隊:士中1隊、寄合1隊、足軽2隊の合計4隊。1隊は各100名編成で総勢400名 となった。 会津松平家の洋式軍隊は、 一隊100名の中隊として組織。 一中隊は二小隊(50名)に分かれて小隊頭(=小隊長)二人の指揮下で動く。 小隊は二つの半隊(25名)に分かれて一つは小隊頭が、残りの半隊を半隊頭(=半隊長)の指揮下で動く。 指揮官は中隊頭(=中隊長)✕1 小隊頭(=小隊長)✕2 半隊頭(=半隊長)✕2 の5人。 全体の指揮系統は中軍(当主を総司令官とする総司令部)→陣将(家老)(*14)→軍事奉行(*15)→軍事奉行添役(*16)→幌役(*17) 隊名は中国の4つの軍神から。 この4つの部隊が約2800名、禁門の変、鳥羽伏見の戦いを戦い抜いてきた砲兵隊、他に農民、町人、坊主、力士、猟師などで使えそうな人をかき集めて洋式訓練を施して頭数は7000名まで膨れ上がる。 ラインハルト・フォン・ローエングラム「数だけはいる様だか、さて、どれだけ残っているやら?」 会津松平家は家柄に応じて上級武士の士中、中級武士の寄合、下級の足軽と存在するので、そこで分けた。 御家存亡の危機に身分別とは?というツッコミがあるが、会津松平家は京都守護職就任から鳥羽伏見の戦いで敗れるまで、公用局という松平容保の頭脳集団が身分、年齢、学歴にとらわれる事なく、実力本位で選ばれた人たちが、胸ぐらをつかむくらいの本音むき出しの討論を積み重ねて政治、軍事、外交、財政を切り盛りしていた。 そもそも公用局とは 会津松平家の公用局は当主•松平容保の頭脳集団として京都守護職として上洛してから2週間で新設。 身分にこだわらず、活力が有り、学問と仕事の出来る人材をかき集めた。 創設当時から公用局を引っ張ったのは野村左兵衛(のむらさひょうえ)(慶應3年6月22日病死)、外島機兵衛(とじまきへい)(慶應4年3月30日病死)、小森久太郎(こもりきゅうたろう)(明治4年病死)の三人。 主な仕事は当主の諮問を受けた事柄に関して評議を行い、そこで出た結論を京都詰の家老に申し上げ、家老と一緒に当主の面前で報告する。 但し、対応を急ぐ場合、当主の面前で討議がなされた。 この後、江戸や国許へ急ぐ場合、京都のみで決定し、江戸、国許には事後承諾という形が取られた。 当主や家老が公用局の意見に反対する事はまずなく、場合によっては公用局が容保の意見に反論し、容保がその意見を受け入れた事例もある。 公用局の意見=会津松平家の公式見解だった。 公武合体のつなぎ役として朝廷側で孝明天皇、中川宮、二条関白からの相談、幕府側で老中、京都所司代、京都町奉行からの相談や通知を当主に取り次いだり、相手に提出する意見書の草案を作成したり、会津側の意見を相手に伝えた。 浪士組や他の大名家とのトラブルにも駆り出され、解決に奔走したり、中川宮家に家臣を貸すなどして連帯を強化するなども。 公用局で働いていた広沢富次郎(ひろさわとみじろう)の記録では、評議の内容は連帯責任で徹底して話し合うのが普通で徹夜で議論しても話がまとまらず、胸ぐらをつかむ、闘論になるなども日常茶飯事。 それでも評議の内容が定まると、当主に言上、承諾を得た。 連帯責任を証言しているのは他にも柴秀治(しばひではる)、手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)も自伝で認めている。 独創性は無いが事務処理能力が高い人達が揃っており、朝廷、幕府の双方から重宝された(*18)。 文久政変は孝明天皇から中川宮(なかがわのみや)を経て、薩摩島津家の高崎左太郎(たかさきさたろう)と会津松平家公用局員の秋月悌次郎(あきづきていじろう)を中心に行われた。 高崎が同家家臣の重野安繹(しげのやすつぐ)から江戸の昌平黌に在籍していた時、重野と秋月が仲良しだった事を聞き、そのツテで秋月を訪ねたのが文久政変の始まりだった。 国許や江戸では 「自分達では忠臣のつもりかもしれんが、このままだと波長の合わぬ人材を次々と排除して、土台にヒビを入れるぞ!」 「ぬうぅ……これでは軍閥政治ではないか!」 「門閥を軽んじる成り上がりの不遜な所業」 と批判していたのを、松平容保がどうにか留めていたが今回の夜逃げからの土下座ムーブで全てがご破算。 実力主義から門閥主義へ逆噴射してしまった。 課題 さて、洋式軍隊を作ると言っても、会津松平家は公用局に優秀な人材を全集中してしまい、更に軍事面の人材も山本覚馬が行方不明(*19)、林(はやし)権助(ごんすけ)は戦死、この二人が籍を置いていた砲兵隊が残り少ない優秀な人材を独占(*20)。 会津松平家に助っ人で参加した奥医師・松本(まつもと)良順(りょうじゅん)は回想録で 「鳥羽伏見の戦いで亡くなった140人の会津武士は珠玉の逸品という逸材ばかり。武士の中の武士と呼ぶに相応しい逸材だった。で、国許に行くと、武芸と儒学は成績優秀だけど、競争ばかりしてきたから、自己主張だけが強い、協調性がない、他責思考、視野が狭い、とこれが本当に京都で会った会津武士と同じ生き物なのか?と疑った」 と人材の落差に驚いている。 徳川宗家を離れたフランス陸軍軍人や徳川陸軍の軍人を招いて、促成栽培でフランス式軍隊や軍人を育成した。 結果は敵として戦った板垣(いたがき)退助(たいすけ)が 「最初の方は動きがバラバラで、全然統一感がなく、号令を聞いてから次に動くまで動きに迷いの有る奴がいたから潰すのは余裕だったが、途中から西洋式の戦いに慣れて、号令にすぐ反応するくらい動きが機敏で統一感があり、多少の武器の性能差を地形を利用する事で相殺して接近戦を挑むくらいに上手くなり、最初みたく武器の性能差と西洋式の戦い方に不慣れな部分を突付いてゴリ押ししたら勝てる相手ではなくなった」 と記している。 白虎隊士は鶴ヶ城三の丸にて午前9時〜午後4時までフランス式軍事教練を受けた。 会津でフランス式軍事教練を担当していた沼間(ぬまま)守一(もりかず)は 「子供たちが素直で一番成長が速い」 とベタ褒め。 大人たちについては、 「使えないな」 と酷評。 儒学、家訓、掟、心得などの固定観念が邪魔して新しい物事を受け入れるのを邪魔していると、批評していた。 家訓とは 会津松平家開祖•保科(ほしな)正之(まさゆき)が定めた会津松平家の憲法みたいなヤツ。 大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、 則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。 武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。上下の分を乱すべからず。 兄を敬い弟を愛すべし。 婦人女子の言、一切聞くべからず。 主を重んじ法を畏るべし。 家中風義を励むべし。 賄を行い媚を求むべからず。 面々、依怙贔屓(えこひいき)すべからず。 士を選ぶに便辟便侫(べんぺきべんねい)の者を取るべからず。 政事は利害を以って道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべらず。思う所を蔵せず、以てこれを争そうべし。 甚だ相争うと雖も我意を介すべからず。 法を犯す者は宥すべからず。 社倉は民のためこれを置き、永く利せんとするものなり。 歳餓うれば則ち発出してこれをすくうべし。 これを他用すべからず。法を犯す者は宥すべからず。 若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、 土地を領せんや。必ず上表蟄居すべし。 右十五件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり、という代物で守らない当主に忠節を尽くす義務は無いと断言している。 掟とは 会津松平家の子弟は、6歳になると「什(じゅう)」と呼ばれるグループに入る。 什とは、町内の6歳~9歳の子供たちが、 9歳の什長を中心に10人前後集まって構成される集団。 什は毎日午後から当番の家に集まり集団で活動、最後に什長が「什の掟」を話しながら 「ならぬことはならぬものです」で締めくくる。 年長者の言うことに背いてはなりませぬ 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ ウソをいう事はなりませぬ 卑怯な振舞をしてはなりませぬ 弱い者をいぢめてはなりませぬ 戸外で物を食べてはなりませぬ 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ ならぬことはならぬものです 心得とは 会津松平家の士中と呼ばれる上級武士の子弟は10歳になると「日新館(にっしんかん)」に入学。 日新館は会津松平家の学問所で、授業は朝の8時から始まり、論語、大学などの四書五経、孝経、小学を加えた計11冊の中国の古典を教科書とした。 入学した子弟たちは、これらの教科書を素読するのが日課。 各家庭で入学する前の6歳頃から寺子屋に通わせて、これらの古典を素読させていた。 日新館では、低学年のときに「日新館の心得」を勉強させるが、この心得をしっかり学習することで、会津武士としての心構えや誇り(*21)を植え付けていた。 毎朝、早く起きて顔や手を洗い、歯を磨き、髪の毛を整え、衣服を正しく着て、父母に朝のご挨拶をしなさい。そして、年齢に応じて部屋の掃除をし、いつお客様がお出でになってもよいようにしなさい。 父母や目上の方へ食事の世話、それからお茶や煙草の準備をしてあげなさい。父母が揃って食事をする時は、両親が箸を取らないうちは子供が先に食事をしてはいけません。理由があって、どうしても早く食べなければならない時は、 その理由を言って許しを得てから食事をしなさい。 父母が家の玄関を出入りなさったり、あるいは目上の方がお客様として玄関にみえられた時、お帰りになる時は、 送り迎えをしなければいけません。 外出するときは、父母に行き先を告げ、家に帰ったならば只今戻りましたと、挨拶をしなさい。すべて何事もまず父母にお伺いをし、自分勝手なことをすることは許されません。 父母、目上の方と話をする場合は、立ちながらものを言ったり、聞いたりしてはなりません。また、いくら寒いからといって自分のふところの中に手を入れたり、暑いからといって扇を使ったり、衣服を脱いだり、衣服の裾をたぐり上げたり、そのほか汚れたものを父母の目につく所に置くようなことをしてはいけません。 父母、目上の方々から用事を言いつけられた時は、つつしんでその用件をうけたまわり、そのことを怠らないでやりなさい。自分を呼んでおられる時は、速やかに返事をしてかけつけなさい。どのようなことがあっても、その命令に背いたり、親を親とも思わないような返事をしてはいけません。 父母が寒さを心配して、衣服を着るようにおすすめになったら、自分では寒くないと思っても衣服を身につけなさい。なお、新たに衣服を用意してくださった時は、自分では気に入らないと思っても、つつしんでいただきなさい。 父母が常におられる畳の上には、ほんのちょっとしたことでも上がってはいけません。また、道の真ん中は偉い人が通るところですから、子どもは道の端を歩きなさい。そして、門の敷居は踏んではいけないし、中央を通ってもいけません。ましてや、殿様や家老がお通りになる門はなおさらのことです。 先生または父母と付き合いがある人と途中で出会った時は、道の端に控えて礼をしなさい。 決して軽々しく行き先などを聞いてはいけません。もし、一緒に歩かなければならない時は、後ろについて歩きなさい。 他人の悪口を言ったり、他人を理由もないのに笑ったりしてはいけません。あるいはふざけて高い所に登ったり、川や池の水の深い所で危険なことをして遊んではいけません。 すべて、まず学ぶことから始めなさい。そして、学習に際しては姿勢を正し、素直な気持ちになり、相手を心から尊敬して教わりなさい。 服装や姿かたちというものは、その人となりを示すものであるから、武士であるか、町人であるかがすぐわかるように、武士は武士らしく衣服を正しく整えなさい。決して他人から非難されるようなことのないようにしなさい。もちろん、どのように親しい間柄であっても、言葉づかいを崩してはいけません。また、他の武家の人たちに通じないような、下品な言葉づかいをしてはいけません。 自分が人に贈り物をする時でも、父がよろしく申しておりました、と言いそえ、また、贈り物をいただいた場合は、丁寧にお礼を述べながら父母もさぞかし喜びますと言いそえるようにしなければなりません。すべてに対して父母をまず表に立てて、子が勝手に処理するのではないことを、相手にわかってもらえるようにしなければなりません。 もしも、父母の手伝いをする時は、少しでも力を出すのを惜しんではいけません。まめに働きなさい。 身分の高い人や目上の人が来た場合には、席を立って出迎え、帰る時も見送りをしなければなりません。それにお客様の前では、身分の低い人はもとより、犬猫にいたるまで決してしかり飛ばしてはいけません。また、目上の人の前で、ものを吐いたり、しゃっくりやげっぷ、くしゃみやあくび、わき見、背伸び、物に寄りかかるなど、失礼な態度に見えるような仕草をしてはいけません。 年上の人から何かを聞かれたならば、自分から先に答えないで、その場におられる方を見回して、どなたか適当な方がお出でになっていたら、その方に答えてもらいなさい。自分から先に、知ったかぶりをして答えてはいけません。 みんなで集まってわいわいお酒を飲んだり、仕事もしないで、女の人と遊ぶいかがわしい場所に出かけるのを楽しみにしてはいけません。特に男子は、年が若い頃は女子と二人だけで遊びたい本能をおさえることは、なかなか難しいとされています。だからといってそのような遊びを経験し、癖ともなれば、それこそ一生を誤り、大変不名誉な人生を送ることになりかねません。だから、幼い頃から男と女の区別をしっかりし、女子と遊ぶ話などしないことが大切です。あるいは、下品な言葉を発して回りの人を笑わせたり、軽はずみな行いをしてはいけません。なお、喧嘩は自分で我慢ができないから起こるものであって、何事も辛抱強く我慢して喧嘩をしないように、いつも心掛けなさい。 武器は山本覚馬と長崎にいるカール・レーマン(プロイセン商人)がドライゼ撃針銃(*22)4300挺を慶應3年(1867)5月11日に購入契約締結となったが、代金引換で現物はプロイセン本国からの取り寄せになる(*23)ので、入荷は一年先になるというモノだった(*24)。 山本覚馬が行方不明になると、兵器購入ルートが途絶えてしまい、最終的に長岡牧野家の河井継之助の斡旋で自称オランダ人のスネル兄弟から武器を購入した。 短期間に大量の統一された規格の武器を揃えるというのは、スネル兄弟のみならず、長崎のグラバー(*25)でも無理だと思う。 その為、武器に関しては数も質も足らず、新型の元込め銃は会津松平家が数が少ないレアアイテム(*26)だからか出し惜しむ傾向にあった。 当時の標準的な小銃である先込め施条式の椎の実弾を使うミニエー銃、エンフィールド銃はあったが、絶対数が足らず、朱雀隊や砲兵隊に優先的に配備された。 他の部隊には一世代前の先込め滑空式の丸弾を使うゲベール銃、火縄銃まで投入していたが、武器の差は厳しく、補給がアテにならないと敵の死体や補給部隊から武器や弾薬を鹵獲して自分の武装を更新する兵士も出ていた。 戊辰戦争中盤からの会津松平家は武器の性能差も縮まり、西洋式の戦いにも慣れ、太政官側に同数の損害を与えるようになったが、指揮官の価値観が前の時代のままなので、最前線に出ては銃撃を浴びて戦死がザラで、指揮官や指揮系統の再編が日常茶飯事だった(*27)。 大砲に関しては当時の日本の道路事情が貧弱で、重い大砲では前に進まない為、四斤山砲など軽量で分解可能な山砲が、山がちで輓曳用道路の整備も不十分な地理事情、軍馬不足という軍備状況に適合していた。 分解すれば馬2頭に駄載することが可能で、山岳地帯での運用に適していた。 一方、野砲では馬8頭が牽引に必要だった。 青銅砲なので、材料も国内調達が容易で鉄製砲よりも技術的に製造が容易だった。 発射速度を除けば最新式の後装砲にも劣らない性能だった。 この大砲は会津松平家も数多く保有していたので後れを取らなかった。 戊辰戦争後半は補給が途絶えがちで弾薬の調達に苦労した。 会津松平家の財政は、 「おい、金がないぞ」 借金を「借りてしまえばこちらのものだ」 というモノだった。 寛延2年(1749年)に、不作と厳しい年貢増徴を原因として会津最大の百姓一揆が勃発した。 首謀者の処刑と入牢などを行ない鎮圧したが、農民達は徳川幕府に申し出て、寛延4年7月(1751年)に幕府より国目付が派遣(*28)され年貢減免などの緩和策が取られ、一度財政破綻寸前(*29)まで追い込まれた。 天明5年(1785年)から財政再建を行い成功した(*30)が、幕府から余裕あるよね〜って樺太(*31)、三浦半島(*32)、房総半島(*33)、お台場(*34)、蝦夷地(*35)と警備を割り振られ、負担は重かった(*36)。 トドメが京都守護職の約1000人派遣である。 京都守護職の負担とは 会津松平家の年間収入が、96709両。 京都守護職に掛かる必要経費が年間216000両。 不足分は119291両。 尚、不足分の金額は増える事はあっても、減ることは無いでしょう。by公用局。 年収の2倍以上になる支出だと!これでは際限がないではないか!by勘定方。 会津松平家を支持する孝明天皇、中川宮、関白•二条(にじょう)斉敬(なりゆき)のご機嫌を取るために生活費を援助したのもあるが、薩摩、長州、土佐、水戸などの有力大名家が京都に来て、家臣や志士をロビイストにして政治活動するモノだから、人が増えて物価が急上昇。 家臣団に物価高対策手当を増やして対応し、徳川幕府に財政支援を願い出て、文久2年(1862)〜慶應3年(1867)までの6年間で総額1232621両を支給、都合20万石分の領地を与え、都合43万石の収入にはなったが、焼け石に水。 新規領地は山城国、播磨国、越後国と分散されて、それぞれに役人や兵隊を派遣しなければならず行政効率が悪かった。 慶應3年(1867)には駿河に43万石のまとまった領地を与えろ!と要望を出したが拒否された。 身なりは京都の民衆から、 薩摩・長州・土佐など→絹の着物、白足袋。 会津→麻、木綿の着物、黒足袋。 と見て分かるくらい。 金使いも 薩摩・長州・土佐など→祇園や島原で打ち上げパーティ三昧。 会津→良くて旅宿、普段は守護職屋敷で部屋飲み。 とケチ臭くて評判が悪かった。 容保の頃には国内の大商人からはブラックリスト入り(*37)しており、借り入れが出来ないので、長崎の商人・足立家や庄内酒田の本間家(*38)から借り入れが出来た。 蝦夷地や会津領内の殖産興業や金山などの開発をしたかったが、大規模なお金は国内から借り入れが出来ないので、外資を導入しようと言う話になり、プロイセン王国に直接、蝦夷地にある会津預り地の開発権を担保に金を借りる申し出をしたが、プロイセン王国宰相のビスマルクから 「面積小さいし、リターン少ないし、維持費は掛かるし、デメリットしかないよね。 フランスと全集中して殴り合いするのに、極東の揉め事に俺達を巻き込むな!」 と全力で断られた。 会津に帰る際、徳川宗家の勘定方に相談して貨幣鋳造権と小判と銀貨の鋳造器を貰い受け、お金を作り続けて、支払いに宛てた。 出来映えはパッとせず、取り引きで受け取った外国商人からの評判は悪く、贋金扱いされた。 勝海舟が明治に新聞談話で西の福岡黒田家と東の会津松平家が贋金造りの両横綱とネタにしたくらいである。 太政官は武士と地元民が共同で贋金造りに励んでいると見た為、武士と民衆を引き離す為、戊辰戦争終了後、会津松平家は下北半島に流し、福岡黒田家は廃藩置県前に有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が新知藩事として福岡城内に入り、事実上廃藩となった。 服装 白虎隊士は元服前の男子なので前髪を残し中剃りする若衆髷(わかしゅまげ)を結い、韮山笠(にらやまかさ)(*39)を戴き、上半身は紺ないし黒の詰襟服を身に纏い、下半身は義経袴、鷹匠足袋に草鞋履き、大小を佩び、黒革に弾薬胴乱を腰に巻いた。 永瀬雄次(ながせゆうじ)16歳の様に母・くら子が草色の詰襟服を作って貰い、出陣した人もいる。 白虎隊のドラマだと雄次が草色の詰襟服を着たがらないのを聞いた母が雄次に 「山野で敵と戦う時、景色に姿を溶け込ませる。さすれば手柄首を取るのも容易になろう、その母のココロが分からぬか?」 と愉し、雄次が 「戦がしたいです……」 と感極まった泣き顔でのタメが入り、服を受け取り着替えて出陣する。 会津武士の大半は髷を切り落としたザンギリ頭に白虎隊士と同じ出で立ち。 下半身の義経袴が若い世代になると、ズボンに変化していた。 各隊の旗印と軍服の袖につける袖印が定められた。 縦長の四角形の真ん中に「日の丸」を描くのは両者共通。 白虎(白)、朱雀(赤)、青龍(青)、玄武(黒)の四隊の区別は「日の丸」の上下に引いた横線の色()の中に書かれてある色によって付けた。 「日の丸」の上と下とで横線の意味は全く違う。 上に書かれてある横線は士中隊=二本線、寄合隊=一本線、足軽隊=線なし。 下に書かれてある横線は士中隊=左右に短い線、寄合隊、足軽隊= 布幅一杯に引かれているが、その数によって何番隊を示すところは共通していた。 白虎隊のドラマだと、「白虎隊」と書かれた旗を掲げて行進する場面があるがあれはフィクションだと、白虎隊資料館の館長は明言。 旗印や袖印、詰襟服で出陣しても、相手も似たような出で立ちなので視聴者側が理解できない。 視聴者側が理解できる様にワザと太政官側が被り物に洋服、会津側は和装に胴具足を付ける事にした、と話している。 出陣 白虎隊最初の戦死者は、足軽隊に籍を置く森新太郎(もりしんたろう)16歳。 6石2人扶持の軽輩である。 慶應4年6月13日戦死とある。 会津南方の大平口に所属する部隊から欠員が出たのでその補充として参加、白河城攻略戦に従軍して戦死。 同年7月10日には松平容保の後釜として当主の地位にいる喜徳(のぶのり)(*40)の戦況視察として白虎士中一番、二番両隊が護衛の任に就いた。 同月15日、寄合一番、二番両隊が越後国境の増援として派遣された。 同月27日、視察から帰着した士中隊の内、一番隊が翌日、前当主•容保の護衛として越後国境に派遣。 同年8月10日、長岡牧野家の抵抗を排除し、奥羽越列藩同盟の補給線である新潟港を占領した太政官は本格的に会津松平家攻略の軍を進めた。 越後国境•左取村(さとりむら)の戦いに投入された寄合二番隊は星勇八(ほしゆうはち)16歳、百瀬外次郎(ももせほかじろう)17歳、小松八太郎(こまつはちたろう)16歳と戦死。 同年8月14日、赤谷村(あかだにむら)の戦いに投入された寄合一番隊は佐々木新六郎(ささきしんろくろう)16歳が戦死。 寄合の両隊は他の会津軍部隊と共に国境の要衝•津川(つがわ)に陣地を築き、防衛戦の準備をする。 同年8月20日には東側の要衝•母成峠(ぼなりとうげ)が攻略され、家老たちが合議の結果、佐川官兵衛(さがわかんべえ)を総司令官に700人の兵を与え、戸ノ口原を守備、十六橋(じゅうろっきょばし)を破壊して時間を稼ぐ作戦に出たが橋の破壊に失敗。 700人の中に含まれていた白虎士中二番隊は出陣に際し、武器庫の担当を吊し上げて、温存されていたスイス製のマンソー銃(*41)を持ち出し、隊士一同 「元込め銃…!」 「いや…これさえあればあんなヤツらなんかに!」 とやる気を見せ、隊長の日向内記(ひなたないき)がメシを探しに持ち場を離れるまでは大活躍した。 ちなみに戦いによる戦死者はいなかった。 後で飯盛山で自刃した19人もいたが、残り(*42)の16人は戦い続けた元込め銃を持ち歩いて、勝手に自刃するなら、俺達に寄越せ!→他の会津武士。 飯盛山で自刃した19人 安達藤三郎(あだちとうざぶろう) 池上新太郎(いけがみしんたろう) 石山虎之助(いしやまとらのすけ) 井深茂太郎(いぶかしげたろう) 津川喜代美(つかわきよみ) 永瀬雄次(ながせゆうじ) 野村駒四郎(のむらこましろう) 間瀬源七郎(ませげんしちろう) 簗瀬勝三郎(やなせかつさぶろう) 有賀織之助(ありがおりのすけ) 石田和助(いしだわすけ) 伊東悌次郎(いとうていじろう) 伊藤俊彦(いとうとしひこ) 篠田儀三郎(しのだぎさぶろう) 鈴木源吉(すずきげんきち) 西川勝太郎(にしかわかつたろう) 林八十治(はやしやそじ) 簗瀬武治(やなせたけじ) 津田捨蔵(つだすてぞう) 士中一番隊は同年8月23日に会津城下に雪崩込んだ太政官の軍隊を相手にしたが、苦戦続きだった。 西村四郎(にしむらしろう)17歳、佐久間直記(さくまなおき)16歳が戦死。 活躍したのは山本八重(やまもとやえ)(*43)だったり、水戸徳川脱走軍(*44)だったりする(*45)。 白虎足軽隊は補充要員として扱われていたが、23日に古川深松(ふるかわふかまつ)14歳は自刃、小浅安次郎(こあさやすじろう)17歳が戦死、高橋富太郎(たかはしとみたろう)は同月29日に戦傷死。 士中一、二番隊は兵力消耗が著しいとの理由から同年8月25日に合併して「白虎士中隊」となり、総数は53名。 寄合の両隊は鶴ヶ城が襲われたとの報告を受け、同年8月24日に津川を撤退。 その際、高崎駒之助(たかさきこまのすけ)17歳が重傷、9月5日に戦傷死、藤森八太郎(ふじもりはちたろう)16歳は戦死。 同月29日、片門(かたかど)の戦いでは星八弥(ほしはちや)16歳、黒河内八十記(くろこうちやそき)17歳が戦死。 同年9月1日には朝立(あさだち)の戦いで鈴木平助(すずきへいすけ)17歳、山本太郎(やまもとたろう)17歳が戦死。 同月5日には窪村(くぼむら)の戦いで岸彦三郎(きしひこさぶろう)17歳が戦死。 ここで鶴ヶ城の本営から兵力を求められ、寄合二番隊(中隊頭•太田小兵衛(おおたこへい)指揮)と寄合一番隊の14名(半隊頭•佐藤清七郎(さとうせいしちろう)指揮)計71名を鶴ヶ城に送り、彼らは三の丸の守備に就く。 残りは寄合一番隊78名(中隊頭•原早太(はらはやた)指揮)。 鶴ヶ城で籠城作戦を取り、奥羽越列藩同盟の米沢上杉家から来援を待つ事にした会津松平家に太政官は城外に大砲50門を揃え、祝砲代わりに一日2500発の砲弾が浴びせた。 その最中に白虎足軽隊に籍を置く椎野恒四郎(しいのつねしろう)14歳、鈴木久五郎(すずきひさごろう)15歳が戦死。 同年9月14日、砲撃への対抗策として山本八重と川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)(*46)指揮の砲兵が砲撃を仕掛けて敵を引き付け、その隙に敵の砲台に三の丸守備の白虎寄合隊、西出丸を守備する白虎士中隊が吶喊するという作戦が実施された。 攻撃は失敗、陣頭指揮の佐藤清七郎41歳、二番隊の青山重之助(あおやましげのすけ)17歳、安恵助三郎(やすえすけさぶろう)16歳が戦死。 白虎士中隊に死傷者は無かった。 結果として、城内にいる白虎隊士はこれが最後の戦いになった。 唯一、城の外にいる白虎寄合一番隊は他の会津軍部隊と共に城下を包囲する敵と交戦、9月15日、17日の一ノ堰の戦いで勝利を納めたが、中隊頭の原早太37歳が戦死、若林八次郎(わかばやしはちじろう)16歳、鈴木五郎(すずきごろう)16歳、樋口勇四郎(ひぐちゆうしろう)16歳、池田勇太郎(いけだゆうたろう)17歳、好川滝三郎(よしかわたきさぶろう)16歳、関原繁太郎(せきはらしげたろう)17歳、木村次郎(きむらじろう)17歳、江川次郎八(えがわじろうはち)17歳も戦死し、78名中9名を失い、原の変わりに望月辰太郎(もちづきたつたろう)が代行に就任した。 この白虎寄合一番隊は敵の武器を奪いながら武装を強化するという、ゲームみたいな事をしており、指揮官が敵から奪ったスペンサー銃を携え乱発し、白虎隊士は敵から奪ったエンフィールド銃で武装して、敵の死体から弾薬や雷管を奪うといった強かな一面を見せている。 そんな抜け目ない一面を見せた彼らを会津松平家首脳陣は大絶賛、望月は代行から隊長に昇格、隊士の身分は上級武士に格上げ、隊名も白虎寄合一番隊改めて白虎士中二番隊とした。 城で籠城中の白虎士中隊は白虎士中一番隊になった。 終戦 会津松平家は明治元年(*47)(1868)9月23日に太政官に降伏(*48)。 城で籠城していた人は猪苗代の謹慎所、城の外で戦っていた人は塩川の謹慎所に収容された。 寄合一番隊の遠藤嘉竜二(えんどうかりゅうじ)は謹慎所で体調が悪化し、10月7日に死去した。 明治二年(1869)に再編され、東京と越後高田藩に分けて送られた。 明治三年(1870)1月3日下北半島に斗南藩として復活した。 生き残った白虎隊士はそこで過す事になった。 白虎隊の生死は、 士中一番隊…37名中、戦死3名。 士中二番隊…37名中、戦死0名、自刃者19名。 寄合一番隊…98名中、戦死15名。 寄合二番隊…62名中、戦死7名。 白虎足軽隊…71名中、戦死5名、自刃者1名。 合計 305名中、戦死37名、自刃者20名。 その後 明治6年の政変で西郷派の官僚や軍人、警官が退職し、明治7年(1874)、警視庁創設に伴い初代大警視(現:警視総監)に就任した川路(かわじ)利良(としよし)の警官採用の勧誘により採用された人は多い(*49)。 白虎隊の話はその後大日本帝國により、忠君愛国教育の鏡として使われる。 明治35年(1902)、唱歌の教科書として『白虎隊』が出版、明治36年(1903)には国定教科書の『尋常小学校史』などには白虎隊の飯盛山の自刃の場面が出て来る。 大正9年(1920)イギリスでボーイスカウト第1回ジャンボリーが開催、34ヵ国6千人が参加し、日本代表の3人にボーイスカウト創立者のベーデン=パウエルは 「日本の白虎隊のココロこそ、我々ボーイスカウトの模範である」 と伝えた。 昭和3年(1928)にはイタリア政府から古代ローマ時代の石柱を贈られ、昭和10年(1935)にはドイツ政府の書記官・エッツドルフが石碑を寄贈した。 イタリアとドイツはアメリカからイチャモンを付けられたが、ボーイスカウトはそうならなかった。 ドラマ化 過去に三作、映像化されている。 日テレ版 1986年12月30日・12月31日に日本テレビ系列で放送されたユニオン映画製作の時代劇。 『年末時代劇スペシャル』の第2作。 初日(前編)・2日目(後編)で放送された。 ある意味、白虎隊のテンプレみたいな作品である。 主演は森繁久彌で白虎隊士は当時若手俳優の坂上忍、宮川一朗太、高野浩和、柳沢伸悟などが演じた。 中川翔子の父親・中川勝彦が新選組の沖田総司を演じていた。 テレ朝版 2007年1月6日と7日にテレビ朝日系で放送された東映とテレビ朝日が共同製作した新春スペシャルドラマ。 主演は山下智久。 1993年に酒井峰治の手記が発見され、酒井峰治の目線から白虎隊を描く。 飯盛山の自刃はあるのだが、基本脇役扱い。 峰治はそこにいないから。 製作協力:ジャニーズ事務所である。 テレ東版 2013年1月2日に新春ワイド時代劇『白虎隊〜敗れざる者たち』として放映されたテレビ東京のテレビドラマ。 主演は北大路欣也演じる家老・西郷頼母の視点から幕末の会津を描いた作品である。 ユニオン映画が当シリーズで初めて制作に関わっているが、同社は1986年の年末時代劇スペシャルのヒット作「白虎隊」(日本テレビ系)を制作した実績があった。 追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 東大総長の一人でオカルト方面では福来友吉との千里眼論争でも有名な山川健次郎も元白虎隊士。 -- 名無しさん (2024-06-30 22 05 19) 自分は会津若松出身だけどさ、白虎隊のことばかり子供に教えて幕末会津藩の農民の窮乏やヤーヤー一揆のこと地元でもまるで教えないのどうかと思ってるよ。大概の市民は農民の子孫だろうに -- 名無しさん (2024-06-30 22 16 13) 最近日本史の項目建てが多いけど同じ人かな?白虎隊はやってる事は大体奇兵隊なんでまあ発想としては悪くないと思うがいかんせん訓練期間が足りなかったのかもな -- 名無しさん (2024-06-30 22 58 16) 最後のイタリアとドイツはアメリカからイチャモンを付けられたが、ボーイスカウトはそうならなかった。はどういう意味ですか? -- 名無しさん (2024-07-01 00 30 12) ↑イタリアとドイツは三国同盟のファシズム仲間。その視点でアメリカから石柱と石碑を撤去しろ!と求められた。石柱は撤去されたが、石碑は撤去を免れた。ボーイスカウトはイギリス陸軍中将であったベーデン=パウエルが1906年と1907年に少年向けの偵察・斥候術の本を著したのが起源。戦争につながると敗戦後の占領政策により活動禁止処分を受けた。旧子爵であった三島通陽、元新聞記者の村山有が中心にダグラス・マッカーサー元帥への請願によって活動の再開が許可。一般への普及が図られた。 -- 名無しさん (2024-07-01 01 30 02) 飯盛山での自決は白虎隊でかなり有名で悲しい事件だったんだけど、えらくサクッと書いてるね? -- 名無しさん (2024-07-01 01 57 19) ↑飯盛山の自刃した白虎隊士だけが全てではないし、白虎隊全体を見渡したら寄合の子弟が遥かに活躍しているから。 -- 名無しさん (2024-07-01 03 00 10) 年齢順にするなら玄冬→青春→朱夏→白秋ということで、最年少は玄武隊が妥当と思うのだが、なんで「白虎」だったんだろ -- 名無しさん (2024-07-01 10 34 18) 福島のご当地ちいかわに白虎隊のやつがある ちいかわ泣いちゃってる -- 名無しさん (2024-07-01 11 06 31) おお、ありゃ白虎隊の狼煙じゃねえか、あれがあいずだったんだな -- 名無しさん (2024-07-01 12 08 50) ちなみに会津藩では積極的に官軍に味方する農民もいたとか -- 名無しさん (2024-07-01 13 12 59) ↑太政官は戊辰戦争中、敵対関係にある大名家の民衆に年貢半減令を呼び掛けた。民衆は年貢半減令が美味しいと支配層に反発、非協力的になった。会津に非協力的→敵とみなして会津武士が焼き討ち→報復で太政官に協力→戊辰戦争後、会津武士が人誅でお返し。周りの人たちも襲われた農民が恩賞で贅沢な暮らしをしやがってと妬みの眼差しで見ているから、意外と人誅に協力的だった。恩賞を貰った農民も人誅の対象から外れるべく、質素な生活を振舞う事で逃げようとしたが、会津武士に嗅ぎ付けられ、人誅を達成した。中には福島事件など自由民権運動の時に人誅を行った粘り強い奴もいたから。自由民権運動ぐらいまで来ると会津は徳川時代も、その後の太政官の統治も五十歩百歩と醒めた目で見るからね。 -- 名無しさん (2024-07-01 15 11 48) 時流を読めないアホ集団のイメージしかない -- 名無しさん (2024-07-01 15 16 38) ↑イギリスのボーイスカウト「おっそうだな」 -- 名無しさん (2024-07-01 16 00 43) ↑2三島由紀夫と楯の会「呼んだか?」 -- 名無しさん (2024-07-01 17 44 57) ↑3成田空港建設反対派「何だか、私達バカにされているみたいなんですが?」 -- 名無しさん (2024-07-01 17 46 46) ↑4でも一時は政権の中枢とかになってたんだよ会津…それが藩ではなく情報機関としての会津だっただけで -- 名無しさん (2024-07-01 22 38 31) 恥ずかしながら歴史に無知なもんで、今まで「飯盛山での自決で全滅してしまった悲劇の集団」だと思ってたわ… -- 名無しさん (2024-07-02 02 25 09) 飯盛山は高校生の時に母と旅行で行ったんだけど、「アンタぐらいの年頃の子達がって考えるとクるものがある」って言われたよ -- 名無しさん (2024-07-02 06 07 34) シナプス艦長とアスランいて草 -- 名無しさん (2024-07-02 21 20 29) ↑シン・アスカもいますよ〜 -- 名無しさん (2024-07-02 21 38 04) 俺のコメント消すのは別にいいんだけどちゃんと荒らし報告とかコメント整理ページで申請出して許可取った?そういう手続きはちゃんとしなきゃだめよ -- 名無しさん (2024-07-03 02 31 36) 幕末モチーフのガンダムといえばセンチネル、でもコズミック・イラであの話はできるのかな? -- 名無しさん (2024-07-03 22 55 46) ↑鉄血のオルフェンズが幕末モチーフ。そもそも、センチネルの脚本家が「富野監督はΖで幕末をモデルにして幕末の話をしようと見えたから、センチネルは露骨に幕末の話にした」と語っている。逆シャアが西南戦争なら、ZZは二卿事件みたいな攘夷派の粛清劇になるのかな。 -- 名無しさん (2024-07-04 02 27 47) 白虎隊=自刃で全滅としか思ってなかったから意外と生き残っててびっくり -- 名無しさん (2024-07-04 17 41 36) 小学生の時の修学旅行の思い出だが・・・そこで演技見て全滅・・・というよりみな自害のイメージが -- 名無しさん (2024-07-05 09 27 06) とにかく、予算にも人材にも恵まれない状況の中なんとかして組織を運営して戦争をしなくちゃならないというのがどれだけ大変なのかということだけは分かった。 -- 名無しさん (2024-07-05 12 10 19) 徳川宗家の勝海舟が慶應4年(1868)の6月2日の日記で海軍副総裁•榎本武揚や陸軍副総裁•白戸石介に話しているけど、会津は慶喜に忠誠なんかしちゃいない。会津は徳川の社会秩序や体制に忠誠を誓っている(=孝明天皇が宸翰で守れと示した)だけだと。あいつ等の言う事を信じるとイタい目にあうぞと警告している。勝は友人の神保の身柄を徳川宗家で保護しようとして会津のせいで失敗し詰め腹を切らされていると信じているので、会津に辛口である。 -- 名無しさん (2024-07-06 21 52 02) 自分も白虎隊=勘違いで全員自殺のピエロなイメージしかなかったから、それを覆してくれるいい項目だった。ありがとうございます。 -- 名無しさん (2024-07-08 07 20 48) 白虎隊を不謹慎にもばっこ(注 会津弁でう〇こ)隊呼ばわりして喜ぶのは会津小学生男子が誰でも通る道 -- 名無しさん (2024-07-11 21 44 54) 西周が会津松平家が降伏した話を聞いたら、会津は殿様が安心して京都に集中出来る様に内政を見てくれる山田方谷の様な人がいないのが残念だと話していたな。門閥筆頭の西郷頼母はプライドだけが高いし、一番マトモな家老の横山主税は過労死(元治元年=1864=5月に病に倒れ、8月7日死去)するし、後を引き継いた首席家老の梶原平馬は大山巌とタメ年(1842)で発展途上、天保年代の世代が会津で目立ったのが佐川官兵衛や神保修理くらいで弱かったよな。アニヲタが好きな手代木は西郷隆盛、小栗忠順、河井継之助の一つ上。秋月、野村、外島、小森、南摩綱紀、倉沢右兵衛らは更に上の年代。 -- 名無しさん (2024-08-01 11 41 51) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/snw-server/pages/889.html
過去に使っていた、wiki付属のコメント型掲示板です。 ログ保存のために残しています。 お知らせ 雑談 質問 不具合等 要望 愚痴
https://w.atwiki.jp/breakfust/pages/32.html
過去に行われた大会の結果です 08/03/20 装備祭 08/04/04 種族統一杯
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/4116.html
明かされる過去 原題:Out of Thin Air 作曲・作詞:デヴィッド・フリードマン* 楽曲:『アラジン完結編 盗賊王の伝説』(1996年) バリエーション アラジン完結編 盗賊王の伝説 英語 ブラッド・ケイン(アラジン) リズ・キャラウェイ(ジャスミン) 日本語 石井一孝(アラジン) 麻生かほ里(ジャスミン) お告げの杖*から父が生きていることを聞き出したアラジンは、自分の父が死別ではなく家族を捨てたことに動揺する。ジャスミンは「あなたの父がそんな人なはずはない」と話し、父を探すべきだと伝える。 『Disney s Princess Favorites』に収録。 テーマパーク 東京ディズニーシーのアラビアンコーストのBGMとして採用されている。
https://w.atwiki.jp/wakiyaku/pages/34.html
【作品名】アライブ―最終進化的少年― 【ジャンル】漫画 【共通設定・世界観】 自殺ウイルス:昔々地球とよく似たある星に彼らは住んでいた。 とても賢く生命の頂点たるにふさわしい存在であった彼らは ――僕らよりはるかに進んだ文明や巨大な物質と冨を築き上げていった。 彼らの欲は停まることを知らなかった。自らを満たすため誰よりも先へ…先へ…! 生への執着。進化への猛進。それが仇となった。土地は死に絶え…星はその命を終えようとしていた。 飽和から滅亡へ… 追い詰められた彼らは指導者の下最後の手段をとった。肉体を捨て精神の集合体となって宇宙へと 逃げ延びたんだ。不老不死の生命体の誕生…!!彼らは最高の進化を遂げた… …かに見えたがそこにあったのは闇と恐ろしく永い退屈な時間だった。永い…永い停滞の末彼ら…―― いや"個"すらなくなった命はある光を見出した。 "死"こそが最終進化!!「他の生物の肉体を借りれば死ねる」彼らは宇宙を彷徨い続けた。そして―― 遂に見つけた!!これが自殺ウイルスの正体…(広瀬のセリフより) 悪夢の一週間:自殺ウイルスが原因で起こった世界的な集団自殺騒動 "仲間" (能力者):自殺ウイルスにつかれ、皆が死を遂げる中、自殺ウイルスが人の心の穴 (人間の精神面の負の部分。例えば、恨み…喪失感…罪悪感)にそのまま住み続けた人間。 腹の肉がえぐられても3日で治る。軽い怪我ならしばらくすれば治る。 "仲間"同士はある程度接近した状態なら気配で相手の位置を見分けることが出来る(太輔は出来ない)。 麻生のセリフによると、能力者は相手の殺気を感じて攻撃を回避することが出来る。少なくとも麻生や 太輔は実際に行っている。。 アクロの心臓:あの方を完全体にし、神ですら持ちえぬ力を与えるもの。能力者の体に入り能力や 身体能力を強化する。器の小さい人間は弾けてしまう 「もうお前たちが逃れる術はない…心臓の見せる過去は悦びも悲しみも併せ持つ……みな己の過去に 魅入られ-世界中に散らばった能力者は心の穴に吸い込まれるように命を絶つ」(心臓に関する作中のセリフ) 【名前】瀧沢勇太 【属性】能力者 【大きさ】小学生三年生 【攻撃力】鍛えた小学生並み 【防御力】奈美の爪で胸の辺りを切られて倒れたが意識はあった。しばらくしたら起き上がった 【素早さ】30mぐらい離れた位置から放たれた森尾のカマイタチによる攻撃を隔離の力でダメージを軽減した (どの距離で気づいたのかは不明) 【特殊能力】隔離:外部から完全に隔離された空間を作る能力。勇太が対象に手を向けたときに発動。 隔離された空間は外からみることも入ることも出来ないし、水も電気も空気も通さない箱である。 空気を通さないので、中にいる生き物は窒息する。 作中で隔離した最大のものはドライブインの建物。大きさは任意で自由に変えてる。 自分を中心に使ってないときの最大射程距離は20mぐらい 包丁などで攻撃しても壊れないし、ナイフが溶けるぐらいの熱も通らない。森尾のカマイタチでもおそらく壊れない 怪我をした状態で使用した場合、隔離が不完全な状態になり、弱まる。(森尾のカマイタチを何度か受けて壊れるぐらい) 【長所】隔離能力 【短所】母親が自殺してしまった。父親に化け物と恐れられている 【戦法】隔離 参考テンプレ 【名前】楠奈美 【特殊能力】手の周囲を冷却し氷の爪を生み出し、敵に飛ばす。 爪が落ちたところには一mぐらいの氷柱が半径5mぐらいにいくつも作られる。 人間に突き刺さったときには内部から30cm程度の氷柱が皮膚の下から生えてくる。 爪は一瞬で5~7mぐらい飛んでる。射程は30m前後か 【名前】森尾健一郎 【特殊能力】カマイタチ:旋風で真空を作りあらゆるものを切り裂く。手を振る動作で発動する。 大きさは5mぐらい。両手から出せる。前方の奥行き35m前後の林の木をすべて切断した。 射程は150m以上あると思われる。速度は空気弾と同じぐらいと思われる
https://w.atwiki.jp/nicokikaku/pages/15.html
このページでは過去に実行した企画をカテゴリーに分けて表示しています。 一般 参加型 テーマトーク やってみた ゲーム 対戦 タイムアタック 協力プレイ その他
https://w.atwiki.jp/pcanqcan/pages/36.html
なんばで考えられる賃貸と住宅は6時30分に息子を送り出した時にもまだまだ大丈夫で 「これは、いけるかも? 」と思っていたのですが 7時40分の出発時にはかなりの大雨! 当番用の指定の雨合羽を着て(傘をさすのは不可なので) いざ、出陣という気分ででかけました。 リフォームは毎日、暑いですね もうすでに夏バテしてます。 まだ体調が完全でないんでしょうか? この2週間はPMS(頭痛、吐き気、腰痛、肩こり、目まい・・・)もひどかったし、10日遅れでやっと昨日、リセットしましたが・・・なんかいつもより重い情報となんばで考えられる賃貸はアナログに手でパン! としとめるのについて言えば、 結婚してこっちに来てから3度目の夏ですが、めっきり蚊を一発でしとめるのがうまくなりました